スタッフ日記

京都 伏見稲荷大社 ③ 【僕らしく新春だんじりネタ】

2010年1月2日

岸和田だんじり祭の起源は定かではないですが。

書物等で記載されているのは、

元禄16年(1703)時の岸和田藩主岡部長泰公が、

京都伏見稲荷大社を城内の三の丸に勧請し、

五穀豊穣を祈願し執り行った稲荷祭が起源とされています。

(この時にだんじりが曳き出された記録は定かではないです。)

以上は岸和田だんじり祭の書物によく書かれることであります。

僕の生まれた町、

忠岡だんじり祭の起源は、定かではないですし歴史上の書物等にもあまり記載されてはいません。

(忠岡町史には、すこし祭関係の覚書や願書等の資料や明治時代の地車曳き出し願等はすこし記載されています。)

いつ頃どのように地車曳き出されたかという資料・文献等は見たことはありません。

今から7、8年前になると思います。

ある友人から

伏見稲荷大社の稲荷山の中に「地車大明神」あって!

その昔「地車大明神」の前に

「忠岡旧町のだんじりの各町名を書いた鳥居を奉納していた」っていう

云い伝えがあると聞かせてもらいました。

それを聞き本当かどうか疑いながら兄弟で探しにいきました。

そうしたら、

伏見稲荷大社の稲荷山に御膳谷という所があり

その御膳谷の中に

「地車大明神」という神様がお祀りされていました。

云い伝えも案外嘘でもないんですよね!

起源とは、関係ないとはしれませんが、

忠岡で昔から盛んに行われた稲荷講

祭と何らかの関係はあるかもしれません!

それ以降、毎年お正月には男兄弟3人で

無事祭迎えられることと

祭での無事を祈願し、

毎年鳥居を奉納参詣しています。

そして、お山の中腹四ツ辻で初ビール

※地車=だんじり

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