スタッフ日記

ほぼ確定!!!お社の屋根!!!

2011年2月10日

去年のスタッフ日記に書かせてもらいましたが、

当家の稲荷社にある「だんじりの屋根」のことでーす。

この屋根!一重屋根のかち込みタル木の跡があり、

どこかの下地車の小屋根だという事だけは解っていました。

去年、瓢箪の方々に見に来ていただき色々と教えていただきました。

その後も色々な書物を調べたり、知り合いの方に話を聞かせていただた結果!ほぼ確定っというか?

自分的には確信しています。

結論からいいますと、熊取町先代小垣内地車の小屋根と思われます。

先代小垣内地車といいますと、岸和田旧市筋海町の三先代(先々々代)地車です。

明治13年新調。大工棟梁=高橋若左衛門<屋号・大若>・彫物責任者=宮地弥津計・彫物助=櫻井義國

大正9年熊取町小垣内が購入という地車であります。

そして現在は、平成22年に熊取町煉瓦館へ寄贈され展示中です。

可能性の根拠その①

昭和53年頃に祖父と親交があった地車請負植山工務店故植山義正名匠から購入したと云う事です。

先代小垣内地車は、昭和52年に植山工務店さんで大修理しており、その当時に小屋根を新しくしていると思われ年代的には合致していると思います。

可能性の根拠その②

左側にハシゴをとりつけていた穴跡があります。

沼天神地区の地車の可能性が高いと思われます。

ただ、現存する大若さんの屋根が残っておらず、その上お社に合わすためにテリの部分を切り落として取り付けられており、すべての原型を見ることができませんが、左側のハシゴ跡といい、年代的に可能性が極めて高いと思われます。

現存する唯一の高橋若左衛門<屋号・大若>さんの屋根型の可能性が極めて高くなりました。(*^0^*)

そして、もしかすると!懸魚(げんぎょ)の彫物「龍虎」は、義國さんかも?

「虎」の方は、何となくそんな感じもするのですが、「龍」方は、?

この懸魚の彫物はまだまだ荒いですが、虎の足元にある竹の葉の彫りと土盛り、龍の体の部分の彫りのタッチは何気に四天王寺さんにある寅之門の彫物の感じに似ていると思います。

明治13年というと義國さんの若い当時(25歳)、その頃の作としたらありえるかも?

義っさんファンの僕としてはそうであってほしいと思い願っていまーす。(^0^)/

ただ、腐らないために祖父がペンキを塗ってしまっているので、ちゃんとしたノミ跡はわかりません(-_-;)

僕が小さい頃から何気なしに見ている屋根!こんな興味深い屋根やったとは!灯台もと暗し!

こんな貴重な可能性のある屋根が家にあったとはねぇ~(^0^;)

明治・大正・昭和・平成と長き歴史を感じ、祭の原風景の想像がふくらみ思い描ける屋根でーす。(^0^)V

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