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スタッフ日記

「例の本」を読んでみて

2017年4月3日

「例の本」 書き出し

 

いきなりだが、「例の本」。本気で言っている。交際期間も含めて二十年、この「例の本」問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。

何も知らない母は「結婚して何年も経つのに子供ができないのはおかしい。一度病院で診てもらいなさい。そういう夫婦は珍しくないし、恥ずかしいことじゃないんだから」と言う。けれど、私は「例の本」と嘆く夫婦をいまだかつて見たことがない。医師は私に言うのだろうか。「○○○が入らない? 奥さん、よくあることですよ」と。そんなことを相談するくらいなら、押し黙ったまま老いていきたい。子供もいらない。○○○が入らない私たちは、兄妹のように、あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ。 

 

小説の書き出しで優れた名作がありました。

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。
『雪国』川端康成〈1935〉

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
『平家物語』未詳〈1219以前〉

 

吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
『吾輩は猫である』夏目漱石〈1905〉

 

この「例の本」も読者に強烈な印象をあたえてくれました、優れた文学小説なのか、流行に載った駄作なのかは、今の時点ではわかりません。

 

作者の「こだま」の私生活を赤裸々に書き綴った内容なのですが、もう一つしっくりこないところがあり、感銘と共感を共有できません。

夫婦共学校の先生であり、生徒や父兄の様々な問題や悩みを抱えながら尚且つ、セックスレスである夫婦の問題をストレートに文章にしたためてあるのですが、読んでいる途中で、この作者は「サイコパス」もしくは「エディプスコンプレックス」の持ち主か幼児期に親族から性的虐待を受けたのではなかろうかと、考えてしまいました。

幼児期に親族から性的虐待を受けたトラウマが成人になって、擡げてきたのかとも考えたのですが、フロイト先生はどう判断するのでしょうか。

教員である夫婦がセックスレスで悩み、嫁である作者の「こだま」が心の病を持つようになり、やがて理解者である夫も仕事からのストレスで心の病を発病してしまい、妻である「こだま」が夫を理解し、すべてを受け入れ寄り添っていく姿を描いた私小説です。

この本がなぜ売れているのか、今一つ理解できません。

 

本のタイトルは「例の本」では、ありません。

女性が本屋さんで、この本を買うときに店員さんに「例の本」といえば、この本を出してくれるそうです。

 

本のタイトルは「夫の○○○が入らない」

 

 

 

 

 

 

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