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スタッフ日記

当尾(とうの)路にて 「九体寺」

2008年11月10日

京都と奈良の県境を少し奈良県側に入ると、奈良坂にたどり着く。

この坂を上りきると、眼下に東大寺の「鴟尾(しび」が金色の輝きを放ちながら、目に飛び込んでくる。

そして瓦がすこしずつ、見え出してやがて、壮大な東大寺とともに奈良市内が一望できる山頂だ、ここから左折すると柳生の里に行くことができる。

その奈良坂の麓を左折し、5~6KMほど道なりで進むとやがて、「九体寺」が見えてくる。

この「九体寺」から「磐船寺」までを当尾(とうの)の里と呼ぶそうな。

二つの寺を結ぶ沿道には、農家の人が畑で採れた農作物や山の幸などを、無人で売っている。1品百円で買った人は備え付けの容器にお金を入れるのであり、昔も今も変わらない光景だ。

九体寺  

本来の名前は「浄瑠璃寺」であるが、地元では九体寺が一般的な呼び名である、この寺を最初に訪れたのは、かれこれ40年以上も前になるが、それから毎年何回か参拝に来ている。

以前はそれほど訪れる人も多くなく、ゆったりと参拝できたのであるが、いつの頃か知らないが、本堂や9体の仏像等が国宝に指定されてから、「観光客」がバスを連ねて押しかけて来るようになった。

なぜ、この寺によく参拝に来るのかは、あとで述べるとしますが、本堂の九体の仏像の真ん中にある、ひときわ大きな、阿弥陀如来だけ、手を合わせに来ているのです。

総じて奈良の寺社は国宝であろうが、なかろうが、手で触れるぐらいの近さで拝観できますし、さわろうと思えばいくらでも、仏像に触れられます。ここらあたりが京都の寺社との違いで、京都で国宝の仏像に参拝しようとすれば、ガラス張りの中に安置された仏像を、ずいぶん離れた位置から立ったまま、せかされるように大勢の観光客に紛れ込んで、ゾロゾロ歩かなければならないので、ああもったいない、もう少しかがんでゆっくり、鑑賞したら、もっと仏像の良さが理解できるのに、なんで急ぐのですかと思うのですが、、

本来、寺は地元の住民が、先祖の供養、五穀豊穣、家内安全を願う素朴な信仰の場所であり、別に「国宝」などに、指定して欲しくはないと思うのですが、、、

「国宝」になったばかりに、いろんな規制をかけられたり、うっかり触れることも出来なくなっては、仏様の有り難さも、半減してしまうようです。もっとも、観光客が大勢押し寄せるし、地元も潤うようなので、相殺すると、どちらがいいのだろうか。

小さな門をくぐり、受付で参拝料を払って、本堂の裏から一回りして、横手の入り口から本堂に入ると、陰影の中から、金色に輝いている九体の阿弥陀如来が鎮座している。

手前の仏像を軽く手を合わせて真ん中のひときわ大きな仏像の前に座り、三白眼のその目をみると、 うまく目と目が合わさって、対峙することができるのである。

3Mほどの高さの阿弥陀如来であるが、他の仏像を何度か観たが、この仏像ほど目と目が合うことがない。他のやや小さい8対の仏像の前で座って目をみても、どうもしっくりこない、やはり真ん中の仏像と「睨めっこ」するのには、ほどよい大きさだ。

いつも不思議に思うのは、手を合わせて顔を見るたびに、表情が違うのである。

「怒っていたり」「笑っていたり」「悲しんだり」「涙ぐんだり」「喜んだり」

その都度、顔つきが違う、

つまり、その時の「拝む人の心理状態」が投影されているのです。

幾つになっても、自分自身が見えないものである、勿論他人からは、見えないかもしれないし、見えているかもわからない。

なにか迷いごとがあった時にこの仏像に手を合わせると、いまの心の「自我」が良く見えるので進むべき道しるべが分かってくる。

傲慢ではないか、強がりを言ってないか、悲しんではいないか、泣き言を並べてないか、

煩悩だらけだ、、、おそらく死ぬまで釈迦の教えを請うことでしょう。

この寺のもう一つの魅力は、大晦日に「除夜の鐘」を参拝者全員が撞かせてもらえることです。

毎年大晦日は500人ぐらい、訪れるので500回ほど、鐘を撞いていることになる。

今の世の中は、煩悩が多すぎて、これぐらいの数を撞かないと、108回ぐらいでは厄払いが出来ないかもしれないし、お釈迦さんも今の時代に生きていたら、納得されることだろう。

             

                合掌

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