スタッフ日記

ちびちゃんありがとう!!!

2009年2月1日

平成21年1月26日、明朝小畑ちびちゃんが永眠しました。

享年18歳でした。死因は、腎臓病でした。

5年ほど前から腎臓が悪く、ずっと治療していましたが、看病の甲斐もなく、天国へ逝ってしまいました。腎臓病は人間でもそうですが、体のだるさや食欲低下が現れ、赤血球が作られていない状態になり、貧血状態がずっと続きます。体がほんとにだるくて、しんどくて辛そうでした。

あの子は私達家族の為に長生きして、たくさんの幸せを運んでくれたんだと涙しています。

ちびが亡くなる一週間前、すごい量の吐血をしていたのを母が見つけて以来、急にだんだんと元気がなくなってきて、ご飯も全く食べず、水も飲めず、日に日に痩せ細って、最後の日には立てない程症状がひどくなっていました。おしっこもトイレでできなくなっていました。それに、吐血でひどい貧血を起こしてしまい、歩く事も立ち上がる事もできなくなってしまったのです。かわいそうで見ているのがほんとに辛かったけれど、最後まで、ちびが生きた証を私達家族がちゃんと見届けてあげなければと思いました。

亡くなる一か月前のお正月頃は元気で外で走り周っていたのに・・・

ほんとに急でした。

でも、ちびが亡くなる最後の日は、大好きなお魚を3口程食べたり、喉をぐるぐると鳴らしてとても愛らしい子でした。

最後の最後まで、私達家族に愛と笑顔をくれた子でした。

ネコなのに、一人でいるのがさみしいらしく、みんなが話しているとちょうど中心にきてわざわざ座ったり、私や母の後を犬みたいについてきたり。18年間の思い出がたくさんあります。

にゃーにゃーとひっきりなしに良く鳴く可愛い子でした。

未だに亡くなった事が信じられません。

家に行くと、ついつい「ちび、おはよう!」と言ってしまい、「ああそうか。もういないんだ。」と悲しみにくれてしまいます。

今でもちびが亡くなった時の事を思い出すと眼頭が熱くなります。

不思議なもので、虫の知らせかちびが呼び止めたのでしょうか。ちびが亡くなる前日の夜遅くの事です。急に「私、実家に泊まる。」と言い出して、25日の夜は実家に泊まる事になったのです。あの時、泊まる事になっていなければ、ちびと最後のお別れはできなかたと思います。

そして、26日の明け方、私と母に看取られながら、ちびは旅立っていきました。何度も何度も「ありがとう。」と言いました。もう冷たくなった身体を抱きしめながら、。「しんどいのに今までよく頑張ったね。もう苦しくないよ。本当にありがとう。」と、言いました。ずっと涙が止まりませんでした。

ちびも涙を流していました。

今でもちびが初めてうちに来た日の事を昨日の事のように思い出します。初めてきた時は、まだ野良猫で、お母さん猫の後ろをちょこちょことまだおぼつかない足取りでついてきていました。

「ちび」という名前は私がつけました。子猫だった頃、他の子猫に比べて体が小さかったのと、あの頃はいくら食べても大きくならなかったので、「ちび」とつけました。

ちびの亡骸を海岸時のペット霊園に連れていきました。

天気予報では晴れだったのに、ひどい雨が降っていました。

連れて行く途中も涙が止まりませんでした。

とてもみんなに愛された猫で、みんなの事が大好きな猫でした。

「ちび、たくさんの愛と幸せをありがとう。

 天国で元気に走り回ってるかな。

 またいつか会えるかな。

 その頃はもう私がおばあちゃんになってるかもしれないけど、分かるかな。

 本当にありがとう。ありがとう。」

そうちびに最後のお別れを言いました。ちびが笑って「ありがとう。」と言った気がしました。そして、ちびは空に昇っていきました。

最後に、宇野動物病院と、高瀬動物病院の先生及びスタッフの皆様、大変お世話になりました。おかげ様でちびは長生きする事ができました。ありがとうございました。

            ちび、いっぱいの愛をありがとう。

           家族みんなあなたの事大好きだったよ。

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